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親鸞は、鎌倉時代前半から中期にかけて活動した日本の僧である。浄土真宗の宗祖とされています。(1173年 - 1262年)
承安3年(1173年)4月1日に、現在の法界寺、日野誕生院付近(京都市伏見区日野)にて、皇太后宮大進日野有範の長男として誕生。母は、清和源氏の八幡太郎義家の孫娘の「吉光女」とされる。幼名は、「松若磨」、「松若丸」、「十八公麿」。 治承5年(1181年)9歳、京都青蓮院において、後の天台座主・慈円(慈鎮和尚)のもと得度し、「範宴」(はんねん)と称する。 伝説によれば、慈円が得度を翌日に延期しようとしたところ、わずか9歳の範宴が、 「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」 と詠んだという。無常感を非常に文学的に表現した歌である。 法然の専修念仏の教えに触れ、入門を決意する。これを機に法然より、「綽空」の名を与えられる。親鸞は研鑽を積み、しだいに法然に高く評価されるようになる。 『御伝鈔』には、「吉水入室」の後に「六角告命」の順になっているが、『恵信尼消息』には、「法然上人にあひまゐらせて、また六角堂に百日篭らせたまひて候ひけるやうに、また百か日、降るにも照るにも、いかなるたいふ(大事)にも、まゐりてありしに、…」とある。一般に『御伝鈔』の記述は、覚如の誤記と考えられる。同様に「六角告命」「吉水入室」ともに、建仁3年と記されている写本があるが、これも建仁元年の誤記と考えられる。(西本願寺本は、「六角告命」のみ建仁3年と記される。) 元久2年(1205年)4月14日(入門より5年後)、『選択本願念仏集』(『選択集』)の書写と、法然の肖像画の制作を許される。法然は『選択集』の書写は、門弟の中でもごく一部の者にしか許さなかった。 この頃、親鸞より法然に改名を願い出て、「善信」と名告ることを許される。 PR |
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空海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖です。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお(まな))。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらしました。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられています。
宝亀5年(774年)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれたそうです。父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀大足の娘(あるいは妹)、幼名は真魚。真言宗の伝承では空海の誕生日を6月15日とされていますが、これは中国密教の大成者である不空三蔵の入滅の日であり、空海が不空の生まれ変わりとする伝承によるもので、正確な誕生日は不明だそうです。
延暦8年(789年)、15歳で桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の舅である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学んだそうです。
延暦11年(792年)、18歳で京の大学寮に入ったそうです。大学での専攻は明経道で、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだと伝えられています。 十大弟子
元慶2年(878年)11月11日に空海の弟子真雅が朝廷に言上した「本朝真言宗伝法阿闍梨師資付法次第の事」[8]によれば、空海の付法弟子は、真済、真雅、実恵、道雄、円明、真如、杲隣、泰範、智泉、忠延の10人とされる。後に、この10人を釈迦の十大弟子になぞらえ、弘法大師(空海)十大弟子と称するようになった。十大弟子の語の初出は慶長年間の成立とみられる頼慶『弘法大師十大弟子伝』。
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真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、日本の仏教の宗派です。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう)、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称しています。
空海が中国(唐時代)の長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としています。 同時期に最澄によって開かれた日本の天台宗が法華経学、密教、戒律、禅を兼修するのに対し、空海は著作「秘密曼荼羅十住心論」(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)、「秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく)で、空海が執筆していた当時に伝来していた仏教各派の教学に一応の評価を与えつつ、真言宗を最上位に置くことによって十段階の思想体系の中に組み込んだ。最終的には顕教と比べて、密教(真言密教)の優位性、顕教の思想・経典も真言密教に摂包されることを説きました。 天台密教を「台密」と称するのに対し、真言密教を「東密」と称する。真言宗の密教は東寺を基盤としたので「東密」と呼ばれました。 |
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伝統宗派としての浄土宗。浄土宗諸派の総称としての浄土宗。鎮西派と西山派に分かれます。
浄土宗(じょうどしゅう)は、日本の仏教宗旨のひとつで、法然を開祖としています。本尊は阿弥陀如来(舟後光立弥陀)。教義は、専修念仏を中心とし、浄土専念宗とも呼ばれています。浄土真宗の別称もある(親鸞を開祖と仰ぐ浄土真宗とは別である)。 承安5年(1175年)、法然は43歳の時に、善導撰述の『観無量寿経疏』(『観経疏』)によって専修念仏の道に進み、叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えをひろめた。この年が、浄土宗の立教開宗の年とされております。 その『観経疏』にある立教に至らしめた文言は、 一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者是名正定之業 順彼佛願故 (意訳)一心に専ら弥陀の名を称えいつでも何処でも時間の短い長いに関係なく常にこれを念頭に置き継続する事が往生への道である。その理由は弥陀の本願に順ずるからである。 「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏に帰依(南無)しますの意。弥陀佛の選択によって、浄土宗における念仏はここから始まったと言っても過言ではない。 法然撰述の『選択本願念仏集』が、浄土宗の根本聖典となっており、教義の集大成となっています。 |
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真宗教団連合は、親鸞聖人生誕750年・立教開宗700年にあたる1923年(大正12年)、真宗各派の協調・連携を図る為に、真宗各派協和会として結成された。加盟団体は以下の10派であり、「真宗十派」といわれる。
浄土真宗本願寺派 本願寺 真宗大谷派 真宗本廟 真宗高田派 専修寺 真宗佛光寺派 佛光寺 真宗興正派 興正寺 真宗木辺派 錦織寺 真宗出雲路派 毫摂寺 真宗誠照寺派 誠照寺 真宗三門徒派 専照寺 真宗山元派 證誠寺 |
